気温は体温よりも高かった。呼吸をするだけで汗が噴き出る。
猛暑が陽炎となる川崎で、湯原信光はコーチの渕脇常弘と入念な練習を行っていた。
8月14日で満50歳となる湯原は、その週に行われるファンケルクラシックでシニアデビューを果たす。新しいゴルフ人生を踏み出す男には酷暑をものともしない生気があった。
その日の練習は、リンクス新川崎の練習グリーンから始まった。ストローク用の細長いボードを横にして体の前に立て、それにパターのヒールをこすらすように滑らせ てボールを打つ。ボードの方向をカップに向けているために、素直にストロークでき ればボールは真っ直ぐカップに向かい沈む。
湯原はどんどんとボールを打っていく。感情を押し殺すようにしてストロークを重ねる。渕脇は飛球線後方、前方、正面、そして背中側とあらゆる方向から湯原のパッティングをチェックしている。学生時代は剣道の達人であり、その後、プロのボクサーとして世界を制する腕を持っていた渕脇の体は異様に大きい。ゴルフのインストラク ターというよりもボディガードのようである。
恐ろしささえ漂う渕脇の相好が崩れた。
「全然、楽じゃないですか」
そう言って笑った。真剣な表情だった湯原にも笑みが浮かぶ。
ボールはすべてカップに吸い込まれるように消えていった。ストロークが僅かなぶれもなくしっかりと同じ軌道を描いていた。
アドレスのボール位置はスタンスの真ん中よりもやや左。グリップはその真上にある。左太もも内側。パターヘッドはボールの真後ろにセットされ、テンポよくボールをヒットする。バックスイングとフォローの大きさは同じ。
湯原は機械のように同じ動きを繰り返すが、機械が持つ無感覚さや冷たさや乾き切った感じは微塵もない。湯原の確固たる意志が体や腕からパターに伝わり、それがボールに伝わって生き物ののように前に前にと転がって行くのである。
約30分でパッティングの練習が終了した。
「楽とはどういう意味ですか?」と僕は渕脇に尋ねた。
「どこにも無理がない。いい感じということですね」
次はバンカーの練習であったが、先に人が入っていたので、打球練習に切り替えることになった。
「右ですか、左ですか?」と渕脇が湯原に聞く。
「左」と湯原。
打席は広々した練習場の左端となった。
湯原は何本かの平たい棒をキャディバッグから取り出し、スクエアボックスを組み立てる。そして太いゴムチューブを体に巻き付けて素振りを始めた。しばらくやって ウォームアップが完了するとゴムチューブを取り外し後方の椅子に投げた。
飛球線後方から目標をしっかりと確かめると、ボールをスクエアボックスの中央に置き、しっかりと打つ。クラブは7番アイアン。1球ごとに汗が飛び散る。
鋭く速い体の回転。ガツッというインパクトの衝撃音。ボールは勢いよく飛び出し、高く上がってもうひと伸びする。そして緩やかな落下。
湯原の小気味のいいスイングは若い頃と何も変わらないように見える。
「肩や肘を壊し、靱帯を切り、椎間板ヘルニアにもなって、自分のスイングの感覚を失ってからは暗中模索だった。藁をもつかむ思いで多くの人に習ったが、何かが違っていてストレスが溜まる一方だった」
前号の『書斎のゴルフ』で語ってくれた湯原の言葉が思い出される。
「どんなふうに教わってもそれなりに上手く打ててしまう。それでいいじゃないかと人は言う。でも全然よくない。気持ちが悪くて仕方がないんだ。それは僕のスイングじゃないと僕の体が悲鳴を上げているのを感じるんだ。どんなことを言われても上手く打ててしまう自分の器用さを呪ったよ」
湯原は出口のない迷路に迷い込んでしまった気持ちであったろう。
「僕は気持ちのいいスイングをしたいだけなんだ」
湯原の葛藤は叫びともなっていた。
そんなときに現れたのが渕脇だった。渕脇は湯原の気持ちの悪さが感覚としてわかった。少年時代から天才と呼ばれていた湯原は、どんなアドレスからでも、スイングであってもボールを器用に打ててしまう。目標に飛ばせることができるのである。しかしそこには凡人にはわからない無理が生じているし、スムーズではない動きが起こっている。だからこそ気持ちが悪いのである。渕脇はボクシングなどで鍛えてきた「目」によってそれを見ることができた。
湯原はアドレスで体のいくつかの部分を自己チェックしているようで、それが決まるとボールを打つといったやり方を取っていた。渕脇は正面、後方などでスイングをチェックしていく。
湯原の打球はほとんど目標に飛ぶんでいくが、時折、右に滑るように飛ぶ球があった。顔をしかめる湯原。目を瞑ってシャドースイングを行う。スイングを脳裏にイメージしてから打つといったやり方だった。
しばらくして渕脇が湯原に言った。
「左に寄ったときですね」
これは後で聞くと、トップの切り返しのときに頭が左による。体が左による。中心軸が左にズレる。左に傾くといった悪い動きのことであった。
湯原はそれを十分に認識しているようで、それが生じたときに右へのミスショットが出てしまうのだった。そして、それを矯正したいというのが今日の練習のテーマであったのだ。湯原はこの前の週にサンクロレラクラシックに出場して、通算5オーバー、36位タイの成績を収めている。今年はこれまで4試合出場しているが、初めて予選を通った。しかも悪くはない結果である。昨年は8試合出て、1試合も予選を通っていないのだ。
湯原のゴルフは今年に入っていい方向に動き出していた。その結果がようやく出てきているのだった。それは特殊な運動トレーニングやストレッチなどによる身体療法が実ってきたことと、渕脇とのスイングトレーニングが成果を上げてきたことに他ならない。
試合で時折出る右への球。実践で生じた僅かなミス。しかしそれが致命傷になる前に矯正する。それが明日に繋がることを百戦錬磨の湯原は身に染みて知っている。
「強く叩こうとしたときにそうなりやすい」
湯原は言う。そして力をやや弱めてスムーズに振ることだけを考えればトップでの左への体のズレは起きず、従って右へ飛ぶこともない。真っ直ぐに目標の180ヤードの看板にボールは向かっていく。
僕は問題解決だと思った。しかしまったくそうではなかった。湯原は後で教えてくれた。 「試合では知らず知らずに力が入る。それを抑えることなどできない。そのときにも正確に目標に打てなければいけない」
それが実践のための練習である。練習のための練習をしても意味がない。練習場で力を入れずにナイスショットができてもなんの意味も持たないのである。
「練習は常に実践のための練習でなければならない」
渕脇もそう言い切った。
湯原はこうも言う。
「軸がしっかりしていれば、強く振れば振るほど、速く振れば振るほど、遠心力によって、スイングは安定するはず。僕の意志などに関係なく、体は自然に同じ動きをしてくれるはずなんです。独楽を考えてみて欲しい。回転が緩ければふらふらして上手く回らない。回転が速く強ければずっと同じ回転をし続ける。スイングもそれと同じ。そうでなければいけない」
つまり、強く、速く振ることによって体がブレてショットがブレてしまうのは、軸がズレるからに他ならないというわけだ。よって力を入れずに振るのではなく、軸がズレないようにスイングしたいというのが二人の目的となる。
渕脇が湯原の斜め後方に行き、そこから湯原の背中をしばらく見ていた。打球はその間もほとんどが目標に飛んでいたが、ただ1球右に行った後で、渕脇が再び口を開いた。
「右の背中が丸く盛り上がっていますね」
湯原はその言葉を聞いて、何かを確かめるようにボールを打っていった。打球はいいこともあれば右に行くこともあった。
その後、あることが閃いたようだった。
そうして打った打球は鋭く真っ直ぐ目標に飛んでいった。
「これでどうですか?」と湯原は初めて聞いた。
「背中の丸みは消えました」と渕脇。
次に打った打球も真っ直ぐ飛んでいった。
「これでどうですか?」と再び湯原。
「いいですね」と渕脇。
こうしてしばしの休憩となった。冷えた緑茶を飲む湯原。額の汗が輝く。笑顔が広がる。アドレスで右の背筋が盛り上がっていることがトップでの体軸のブレを巻き起こし、ショットを右にブレさせている原因であることを突き止めた渕脇。湯原はここから何を考え、修正していったのか?
湯原が解説してくれた。
「右の背筋が盛り上がっていると言われても、それが僕にとっては気持ちのいいアドレスなわけです。だからそれ自体を盛り上がらないようにアドレスすると、気持ちの 悪いアドレスになってしまう。つまりそれはぼくにとって気持ちの悪い無理のあるスイングを招いてしまうわけで、スイングやショットを矯正することには繋がっていか ないわけです。直すどころか返って悪くなってしまいやすい。そこで何をしたかというと尻の筋肉バランスを少し変えてみました。左右の尻の筋肉の入れ方を変えたので す。これは僕にとって気持ちの悪いアドレスにはなりません。それでいて右の背筋の 盛り上がりはなくなった。よってトップでのズレがなくなってショットもよくなった」 「よく尻の筋肉に着目しましたね」と僕は言った。 「実は試合中に尻の筋肉バランスを変えたら、非常に上手く打てたときがあってね。それが気になっていた。それをやってみたら、背筋のバランスがよくなったというわ けだね」
渕脇が言う。
「私は湯原さんのコーチですが、僕の先生は湯原さんなのです。というのも今のように、背中の盛り上がりを指摘した後で、尻の筋肉にそれが及ぶというのは私からすれ ば驚きです。背中が丸くなっているのを伸ばせと言うのが普通のインストラクターの 指導でしょう。しかしそれでは上手くいかないことを湯原さんから教わった。これだ けではなく、実に多くのことを。正しく教えることは実に難しい」
湯原が言う。
「本質を教えることがね」
そしてこうも言った。
「要は、体の筋バランスが大切で、それが一番の問題なんだ。筋肉のバランスが整っていたら、気持ちよく構えられて気持ちよく振れる。そうすれば自ずとナイスショッ トになるはず。それを僕は追い求めているし、できると思っているんだ」
しばしの休憩後、湯原は7番ウッドでボールを打った。ロングアイアンが得意だった湯原が7番ウッドを持つ。時代の流れを感じるが、そのボールはどれもほぼ完璧だった。クラブはすぐにドライバーに変わった。
ゴルフレンジの正面のネット裏にはビルが聳え立っているが、その屋上よりもボールは高々とあがっていく。ドライバーをアイアンのようにシャープに振る湯原。それはやはり20代の湯原のスイングを彷彿させる若々しいものだ。しかし、時折、右への スライスが出てしまう。アイアンで解消したと思った問題も、ドライバーではまだ生きていた。
ボール位置がアイアンとは違うからなのか。アイアンではパターと同じように左胸の下にボールがあり、グリップもそのライン上にあった。つまりボールはスタンスの センターよりも左足にややあり、グリップは左太またの内側にある。それがドライバーではボール位置は左足かかと線上になり、グリップ位置もそれと同じようにやや左による。その微妙な位置がアドレスに影響を及ぼすのであろうか。
湯原は言う。
「ドライバーからアイアン、アプローチ、パターまで、すべてを同じように振りたい。
アドレスも同じように構えているし、そうでなくてはならないと思う。一度、パットは違うゲームと考えて長尺に変えたけれど、今はすべてが同じゲームと考えて同じにしている。その考え方の上に立ってゴルフを行うほうが僕には合っているんだ。僕はゴルフを極力シンプルに考えたいからね」
湯原は1球ごとに目を閉じてスイングイメージを作ってから打っていく。右へのスライスの後に左へのフックが出た。
「ボールが右に出るからといって、次に捕まえに行ってはいけないね。捕まえに行ってミスを帳消しにしても、それは付け焼き刃の矯正にしかならない。人間の本能として、思わず体がそうしてしまうのだけど、それはバンドエイドの治療。根本治療には ならない」
そう自分に言い聞かせるように渕脇に言った。
顔だけでなく体中から汗が噴き出る。日焼けした顔が赤く火照ってくる。
「モジモジしています。アドレスで何か違和感があるのではないですか?」
そう渕脇が言った。
見ると確かに打つ前に股関節が小刻みに前後に動く。湯原は渕脇の言葉に反応しない。そのままモジモジとしてから打っている。しかし打つ毎にそのモジモジ度が減ってきた。
しばらくして渕脇が言った。
「テイクバックで手が遠回りしています」
湯原はその言葉に反応して、こうかこうかとテイクバックの仕方を変えて、渕脇にチェックしてもらう。ちょうどいい感じに上がり始めたら、モジモジまでなくなった。打球は当然と言うべきか、目標に向かってすべてが上手く打ち出せた。僕は不思議なものを見た気がした。モジモジはアドレスが原因ではなかったというのか。
湯原は言う。
「僕はどうクラブを引こうかなんて考えたこともない。自然に気持ちよく引いているつもり。でもそうではなかったのかもしれない。それがアドレスに現れていたのだと 思う」
ドライバーの次がサンドウェッジだった。始めはロブショットを打った。ボールはきれいに高く上がり、80ヤードの看板にどれもが当たりそうだった。
「まったく問題はないです」
渕脇はにこりともせずにそう言った。次に50ヤードの距離に変えて何球かロブショットを打った。ハーフスイングでゆったりと振る。
「まったく問題ないです」
渕脇が言う。その次に50ヤードのピッチ&ランを行った。ボールは低めに出て、落下した後ランが出た。続けざまに10球は打った。
「まったく問題ないです」
再び渕脇はそう言った。それだけでアプローチの練習は終了した。
その後、バンカー練習場に行った。
高い球、低い球と打ち分ける。左足上がり、左足下がり。
「低く打とうとするとよくないね」
そう湯原が渕脇に言った。僕はバンカーショットは低く打つようにしたほうがかえってボールが上がって上手く脱出できると思っているだけに、この言葉は謎だった。
湯原に聞くと次のように教えてくれた。
「アプローチやバンカーショットでも、トップの切り返しで軸がズレないかをチェックしてもらいました。小さなスイングでもそうした癖は出るものです。いや、小さいからこそ出ることも多い。特に低いボールを打とうとするときに出る。ロブショットは高くボールを打とうとするからトップでも右に体重が寄って体は左へは寄らない。でも低い球を出そうとすると左へ寄りやすい。それはバンカーショットでも同じ。だからダウンヒルを多く打ってみたんだ」 練習はレンジが1時間ちょっとだったので、都合2時間ぐらい。レンジでの打球数は100も打っていないのではないだろうか。しかしとても中身の濃い練習である。1球1球アドレスをチェックし、スイングでの体の動き、手の軌道をチェックし、打球をチェックしていく。こうした練習を我々アマチュアはしたことがあるかと思ってしまった。
練習後、練習場のレストランで話を聞いた。湯原と渕脇はかき氷を美味しそうに食べた。オジさんとなった若大将と元ボクサーのインストラクターが「頭が痛い」と笑いながら美味そうに氷を頬張る姿はなかなかのものだ。
湯原は言う。
「自分のスイングをビデオにも撮るけど、それは参考にしかならない。ワイドレンズだからスイングが誇張されて映るし、コマ送りにすると欲しいところがない。真実が映っていないんだね。でも人間の目はそれを調節するし、特に渕脇さんのような目を持つ人は普通の人が見えないところが見えるし、僕が見たいところを映像として残しておくことができる。だから見てもらっているんだ」
渕脇も言う。
「湯原さんのスイングを僕の目に残像として残しておくことが大事なんです。特にいいときのものを。そして今日の湯原さんのスイングとどこが違うかを指摘できなければならない。でも、湯原さんの場合、クラブの動きはミリ単位ですから、非常にわかりにくい。ほんとうに微妙な差を見ることができなければならないんです」
僕は2人のチェックポイントがトップにおける体軸のズレにあったことから、フォローやフィニッシュにはあまり目がいっていなかったのではと聞いた。すると2人とも声を揃えて、そんなことはまったくないと反論したのである。
湯原は言う。
「7番アイアンでボールを打ち出した最初は、フォローがどこに出ているかという手の方向をチェックしていました。これがいつも通りかどうか、それはとても大切。ここが目標方向に出ていなければ、アドレスからバックスイング、ダウンスイングからインパクトとすべてが狂っていることになる。でもフォローがいつも通りに正しく出 ていれば、ミスを矯正していくのは、ある部分だけに絞っていける。だからまずはフォローを見るんです」
笑顔で頷く渕脇。湯原は続ける。
「大切なのはまず出球の方向。落下点が右か左かは次の問題で、まずは打球が同じ方向で飛び出しているかが問題。それが同じであればいい。これを球を揃えるというの だけど、それが練習でできなければならない。先に行ってスライスするか、フックするかはいくらでも意図的にできるのだから。つまり、僕の場合、最初から右に飛び出 るボールがあったというところが問題で、だから矯正しなくてはいけないわけ。皆さんはそれはどうでもよくて、落下地点が目標に行けばいいと思っていると思うけれど、それは僕にとってはとても気持ちの悪いこと。だからショットの結果がグリーンに乗っていればいいじゃないかというのは、僕にとっては許し難い結果なんです。同じ構えで同じスイングならば、ボールが出る方向は同じでなくてはならない。球が揃わなくてはならないんです」
湯原が語る「気持ちのいいスイング」の片鱗が見えた気がした。
「球を揃える」の真意とはどういうことだろうか。さらに聞いてみる。
「球が揃うとは方向だけでなく、球の高さが揃わなくてはいけない。当然、キャリーもランも同じになるはず」
湯原の言葉に渕脇が反応した。
「それをアマチュアに置き換えるならば、方向に留意するよりも距離に留意してもらいたいんです。皆さんは真っ直ぐに飛ばそうとするけれど、そう思えば思うほど球は散らばるでしょう。それをすべてのボールを同じ距離に打とうとしたら、自然とボールが目標に寄ってくるようになるんです。例えば100ヤード先に大きなカゴを用意 します。それにボールを入れてくださいというと、大抵の人は、方向を重視する。ボールがカゴに向かうと大喜びしますが、実際は大きいことが多くてまったく入らない。しかもなかなかカゴに向かっては飛んでくれません。それカゴの距離にあうように、つまりしっかりと100ヤードの距離を打ってくださいとやらせると、次第にボールがカゴに集まって、仕舞いには入ってしまうものなのです。このことを考えて欲しい。湯原さんたちプロはそうした練習をしているということなのです」
今度は湯原が大きく頷いた。プロのショットが何故にベタピンに寄るのか。デッドに狙ってあわやカップインしそうになるのか、その真意が少しわかったような気がした。
湯原は笑顔でこう言った。
「それが基本。実践を踏まえた基本練習だね」
2人の練習はこの週、毎日のように行われ、翌週のファンケルクラシックという本番を迎えた。渕脇は盆休みを利用して湯原を見守りアドバイスを送った。結果は17位タイ。3日間ともショットはかなりよかった。最終日最終ホールのイーグルも素晴らしかったが、あと少し、バーディチャンスのパットが決まっていたら優勝も大いにあり得た内容。今後が大いに楽しみな闘いぶりだった。
プロフィール湯原信光1957年8月14日、東京都生まれ。日大桜ヶ丘高校時代の’74年、’75年に日本 ジュニア優勝。その後日大に進学し、’79年に日本アマ、アジア太平洋アマ優勝。’80 年にプロ転向。これまでレギュラーツアーに7勝、今年夏からシニアツアーにも参戦している。本人のホームページは www.yuhara32.jp