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チョイス1月号 復活第1章
復活にかける執念

文=大羽賢二、写真=松岡誠一郎/南条善則
ゴルフダイジェスト 2003/1/1


手応え、そして優勝。
自分の「夢」が見えてきた

 9月1日、KBC久光製薬で湯原はツアー7勝目を挙げた。92年以来、実に10年ぶりの優勝であった。練習日には、湯原自身のデザインした新しいアイアンが届けられた。チーム湯原の復活のシナリオが、形となったひとつでもあった。一方で大会初日には、恩師の日大ゴルフ部の竹田監督の訃報が届く。最終日、湯原は、痛みに悩まされ続けた腰に喪章をつけて戦った。毎年、年賀状に「年間2勝」をノルマとして与え続け、誰よりも復活を期待していたのが竹田でもあった。最終日の13番、12メートルのイーグルパットは、そんな竹田の思いを乗せるかのように、カップに吸い込まれた。18番でウィニングパットを決めた湯原は、ボールをそっとポケットに忍ばせると、竹田の棺に収めている。
 「竹田監督や中部さんが、ボクの背中を押してくれて優勝できたんだと思う。復活というまでには、まだまだ山の5合目くらいで、課題は山ほどあります。けれどこの状態で優勝できたのは大きな自信だし、自分の理想とするゴルフ、ゴルファーに向かって、まだまだやるべきことは多いし、やってやろうという気持ちが再確認できたことが何より嬉しい」
 と、湯原。これまでケガや病気もあって、封印してきたアメリカへの挑戦も、具体的な目標になって見え始めてきたという。 「道具の進化や予防医学の進化によって、選手寿命は長くなっている。45歳で、まだまだ夢に挑戦しようと思えるゴルフを選んだことに、つくづく幸福を感じます。ゴルフはボクにとって、人生最高の遊び道具のような気がします。もしかすると神さまが、こんな風にやってみたら、こんな風にしてみたらと、課題を与えて続けてくれているんじゃないでしょうか。そう思うと、ケガや病気もまた、神様が与えてくれた課題だし、まだまだやれるとの思いは、神様が与えてくれたご褒美だったのではないでしょうか」
 復活。湯原がこの二文字を可能にしたのは、「ゴルフが好き」という萎えることのない、情熱だった気がしてならない。

0007 題は山ほどあるが、 やってやろうという自分の気持ちが 確認できたことが何よりも嬉しい。 45歳のいま、具体的な夢も見えてきた
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