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「脳を鍛える筋トレ」 PNFとはなにか
市川繁之 鈴木克憲 織田淳太郎
光文社新書 2006/10/20

*異常な筋肉の緊張状態

  市川はこのPNFをスポーツパフォーマンスに応用した、唯一の国際PNFインストラクターである。巨人の松井秀喜を早期復帰させたように、スポーツ応用の目的の一つは、 アスリートに対する迅速なリハビリだが、一方ではアスリートのパフォーマンスにおける筋活動の協調性をチェックしたり、協調性を生むための運動法に関する指導をしたりもする。
 また、筋活動の協調性の欠如から弱っている筋肉群をいち早く察知。PNFによって、故障を食い止めるという役割も担っている。
 第一章でも説明したが、市川が最初に手がけたアスリートは、柔道の斉藤仁であり、彼はその後、ソウル五輪での日本柔道唯一の金メダリストに輝いた。その斉藤復活の 秘密を聞きつけて、市川の許にいち早く駆けつけてきたアスリートがいる。
 プロゴルファーの湯原信光。斉藤がソウル五輪の金メダリストになってからまもなくの、昭和63(1988)年秋のことである。
 湯原は日大時代の昭和54(1979)年に『日本アマ』を制覇。プロ二年目の同56(1981)年には『関東オープン』と『ジュンクラシック』を立て続けに制覇すると、同58(1983)年には『フジサンケイクラシック』でも優勝。プロデビュー四年目にして早くも三勝をマークし、「どこまで勝ち星を増やしていくのか」と、関係者を唸らせた。
 だが、このプロ四年目を境に、彼は突如として勝利から見放されることになる。数年にもおよぶ泥沼の不振と背筋痛への喘(あえ)ぎ。
「開幕までに間に合わせてもらいたいんです」
 これが、市川に突きつけた湯原の要望だった。
 市川の熟練された指先が、湯原の肉体を触診した。そこから微妙な歪みを敏感に察知し、さらにその歪みの神経遮断箇所と協調する筋群を次々に探っていく。それが特定されると、治療に関する湯原とのインフォームドコンセント(説明に基づく同意) を経て、PNFが施された。
 市川が口にする。
「腰椎(腰骨=背骨の下のほう)というのは前後にはよく動きますが、あまり捻ったり回したりすることはできない。回っているのは実は股関節なんです。
 一方、胸椎(背骨の上のほう)は回したり、捻ったりしやすくできている。でも、 この胸椎が正しく回っていないと、脊椎に付着する筋肉が緊張してしまうわけですね。
  湯原プロの場合、その胸椎に過剰なストレスを与えていたのでしょう。背筋の上の ほうが固くなってましたね。具体的には、菱形(りょうけい)筋と僧帽(そうぼう)筋という筋群が過剰に使われ、脊椎周辺の筋肉が異常な緊張状態にあったのです。
 筋肉というのは運動して動くものです。でも、一カ所でも連動が阻害された場合、 他の筋群にも悪影響を与えてしまう。そうなると、スイングに必要な肩甲骨まで、うまく動かなくなるんですよ。
      
  つまり、脊椎の動きが肩甲骨の動きにうまく対応せず、背中の筋肉が固まってしまったというのが、私の湯原プロに対する判断でした。
 しかも、湯原プロのようなハイレベルのゴルファーになると、本能が働くというか、 インパクトの瞬間にミスを察知し、瞬間的な軌道修正を行ったりする。これが筋肉の どこかに急激なブレーキをかけることになり、筋肉のストレス状態を生み出す原因に なったのでしょう。
 でも、裏を返せば、瞬間的な軌道修正ができること自体、一流の証なんですよ。ヘタクソな人は軌道修正なんてできない。腰で回そうとするから飛距離はでないし、すぐに腰痛になってしまう(笑)」

第三章より抜粋
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